Archive for the ‘私の視点’ Category
「いい子」からの脱出
ついつい人からどう見られてるかが気になったり、
周りの人の評価が気になったりすることがあるかもしれません。
学生さんだったら親御さんや先生、
社会人の人なら先輩や上司、取引先の人・・・
周りの目や評価は、ときに人の考えや行動を窮屈にさせると思っています。
ちなみにワタシ、
かなり「いい子」だったと思います。
(↑自分で言うのもなんですが・・・)
親に言うことは正しい。
先生の言うことは間違っていない。
周りの大人の言うことは尊重しなくっちゃ。
と、こんな具合です。
もしかすると、このブログを読んでくださってる方の中には、
「いまの自分がそうだわ」と思い当たる人もいるかもしれませんね。
で、この「いい子」。
実は厄介だな、とワタシは思っています。
本来、大人になれば、
この「いい子」からは、自然に離れていくものだろうと思います。
なぜなら、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動するのが
大人でしょうから・・・。
でも、元もと「いい子」は、結局やっぱり「いい子」なので、
何かの拍子に「いい子」の要素がふと顔を出すことがあります。
どんなに大人になっていても・・・です。
いまの行動は間違ってないかしら?
いまの発言はこの場を乱してないかしら?
などなど、検証することを忘れません。
そこには、いいか悪いかなんてないんです。
それが当たり前で、正しいと思っているから・・・。
ただ、そうは言っても「いい子」から抜け出さないといけなくなるときが、
誰しもやってくるんだろうとも思っています。
たとえば、就職や転職、結婚や出産、転勤、引っ越し・・・
人生の節目で何かを決めないといけない瞬間は、
「いい子」のままでは決めきれない気がします。
いま振り返ってみると、ワタシが転職を決めたときは、
絶対に譲らなかったし、「いい子」でもなかったと思います。
(↑ワタシの転職のことをちょっこと書いたブログもどうぞ)
まあ、当時はかなり反抗的だったかもしれませんケド。
そんなことを経験したからこそ、
「いい子」でいることにしんどくなった就活生や、
どうやって「いい子」から脱出しようか・・・って考えている就活生の
力になれるのかなぁ~なんて考えている今日この頃です。
「いい子」でいることに疲れたな・・・と思ったら、
そのことを話してみませんか?
時どき「いい子」が顔を出してくるワタシが、
そのぶんしっかりお話聴かせていただきますね。
「あきらめない」から生まれるもの
気づけば12月も10日経ちますね。
就活中の学生さんは就職活動の波になかなかうまく乗れないと感じたり、
学業と両立することが難しいと感じることがあるかもしれません。
仕事をしている方なら、12月なのにやり残したことが一杯だ~!とか、
来年からどうしよう・・・なんて考える日もあるかもしれません。
ただそこで、「もうダメだ・・・」「無理だよ」と思うか、
「いやいや、絶対あきらめないぞ」と思うかで、将来は違ってくると思います。
というのも、最近再会した青年。
「何があってもあきらめない」が信条なのだそうです。
そんな話が飛び出すとは思っていなかったのですが、
ふとした拍子に仕事に対する姿勢を聴かせてもらいました。
長年勤めている間に、役職や立場が変わって、
仕事の内容や求められる仕事の質も変化してきたそうです。
当然しんどい時もあるし、イヤだな~と思ったときもあるようです。
でも、「あきらめない」。
なぜなら、あきらめなかったらその先の道ができるからだそうです。
その気持ちで、いろんなことを乗り越えてきて、現在進行中。
頼もしいなと思いましたし、これからも応援したいな、とも思いました。
あきらめなかったら、その先が見えてくるかもしれない・・・。
逆を考えると、あきらめたら、そこで道が閉ざされてしまう・・・。
話を聴きながら、確かにそうだなと感じましたし、
ワタシがあきらめなかったことって何だろう?と考える機会にもなりました。
ワタシがあきらめなかったこと。
と言うより、ガンとして譲らなかったことのひとつは「転職」です。
初めて就職した先は、かなり安心・安定の職場でしたが、
その当時、ワタシにはどうしてもやりたいと思うことがありました。
その職場で安穏と過ごしていては実現できないという思いもありました。
時間をかけて周りを説得したり、ときには衝突したり・・・
もういいや!と途中で投げ出して、転職をあきらめていたら、
いまのワタシは存在しないわけです。
我ながら、あのエネルギーはどこから湧いてきたんだろう?と思いますが、
人生の大きな節目になったことは間違いありません。
「自分の人生の主役は自分」といいます。
このことを実現するのは、「あきらめない」気持ちがあるからこそ、と
いまのワタシだからお伝えできる気がしています。
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健康ってありがたい
ふだん何気なく過ごしているとあまり気にならないのですが、
イザ、体調を崩すと「健康ってありがたい」って感じます。
学校なら定期的に健康診断があるし、会社でも同様。
(いや、訂正。健康診断のない会社もあるので・・・)
ちなみにワタシ・・・
「自分は元気なんだ!」「病気知らずだ!」と思って無茶したことは数知れず。
いままで何度かぶっ倒れる(←貧血とかじゃなくて)ことを経験しました。
そのたびに、「もっと健康に気を遣おう」「ちょっとは休もう」って思いました。
でも、イケマセン・・・
人間は「のどもと過ぎれば何とやら」なんです。
気がついたら無理をしていることも多いようです。
結果、どうなるか・・・
どこかしらに不調があらわれてきます。
最近は、まずいパターンを感じることができるようになったので(←それだけじゃダメですけど)
「またか・・・」って感じで無理矢理休養しようとします。
楽しいことが待ってるから、今は休養しておこう、っていうときもあります。(←動機が不純)
いいコンディションで働き続けるにも、
いいコンディションで就職活動を続けるにも、
結局のところ、健康かどうかって重要なことだと思います。
なぜなら、「健康な人」と一緒に働きたいからです。
少なくとも、ワタシはそうでした。
そういう点では、ぶっ倒れているワタシは劣等生ですけど。
ただ、この場合の「健康」は、風邪ひとつひかない頑丈な人ということではなく、
自分のことを、心身ともにちゃんとケアできる人、ってことです。
ここまで書いておいて矛盾するようですが、
「これはマズイ」っていう限界は、実は、初めからわかっている訳ではないと思います。
失敗したり、ときには周りに迷惑をかけながらも、
とにかく限界までやったからこそ「これはイカン」ってことがわかるように思います。
「限界は自分が創る」とはよく言ったものです。
突っ走ってみたり、立ち止まってみたり、ウロウロまわり道をしたり・・・
いろんなことを試みるから「限界」が見つかるのかもしれませんね。
そうは言いつつ、
限界を見つけるには「健康でいる」ってことを前提にしておいた方がよさそうです。
健康ってありがたい・・・と改めて感じている今日この頃です。
合わないからわかること
ふだん仲良くつきあう人は気の合う人で、
話の合う人・・・ってことがほとんどではないですか?
だって、その方がシンドクナイでしょ?
無理に気を使って、相手の顔色をうかがって・・・なんて
メンドクサイことしなくても上手くやっていけるなら、
それに越したことはない・・・と、ワタシは思っています。
でも社会に出ると、そうも言ってられない時もあります。
とくに会社勤めをしたり、組織に属したりしてると・・・。
ということで、
今日は「自分に合わないと思う人の存在」についてです。
これから2つの質問をしますね。
ひとつ目。
あなたに合わない人って、どんな人ですか?
ズケズケものを言う人?
開口一番、否定や批判から始まる人?
誰とでも仲良くなってしまう人?
たぶん、あなた独自の基準があるはずです。
次にふたつ目の質問。
あなたはその人といるとどんな感じがするんでしょう?
イライラ?
ムカムカ?
あきれて何も言えない感じ?
これも、たぶんあなた独自の感じ方があるはずです。
さぁ、どうでしたか?
合わない人を思い出しながら質問に応えようとした人は、
もしかすると、今この場で、いやぁ~な気持ちになったかもしれません。
でもどうでしょう?
これを考えてみることで「自分に合わない人」や「苦手な人」っていう
パターンに気づいたんじゃないですか?
ということは・・・
もし自分に合わない人とつきあわないといけない時にどうしよう?
とか
苦手な人だけど、この先何とかなるなら何とかしたい!
なんて思ったときの最初の一歩を、あなたはすでに踏み出してるんですよ。
合わない人や、苦手な人が教えてくれることも、実はあったりするんです。
最初っから「 NO!」で片づけてしまわない人づきあいも考えてみませんか?
有料か、無料か・・・
ちまたにはいろんなセミナーや講座があふれています。
高額の受講料が必要なものから、無料で受講できるもの。
少人数で限定のものや、何百人を集めて・・・のもの。
ほんとうに種々様々です。
かくいうワタシも、今までアレコレ受講してきたし、
今やセミナーを主催して講師なんぞをしていたりもします。
実は最近、友人からこんな話を聴きました。
「セミナーに参加したら、隣の人がずっとスマホやってて腹が立った」
おそらく友人は、受講を直接邪魔された訳ではないと思います。
ただ、学ぶ姿勢や、学ぶ目的を考えたときに、
「その態度はないやろ(怒)」という気持ちになったのではないでしょうか。
ましてや、受講料は会社が支払ってくれたもの。
友人は、しっかり学んで仕事に活かそう!と思っていたに違いありません。
なのに、隣では心ここにあらずで受講している人・・・。
早く終わればいいのに・・・
この時間で、別の仕事ができたのに・・・
お金を払ってまで受ける価値ないよな・・・
いや、止めましょう。
挙げればキリがないし、ワタシが嫌な気分になります。
それに、隣で受講していた人のココロの内は誰にもわかりません。
セミナーや講座を真面目に受ける人は受けるし、
そうでない人は、そもそも受講しようとすら思わないかもしれません。
受講料が有料か無料かに関わらず、何かを学ぼうと思っている人は、
しっかり何かを吸収して帰るし、実践するんだと思います。
ちなみに、これはあくまでもワタシの経験則ですが、
「無料は無料」だと思っています。
伝える側にも「無料だから手抜きしてもいいか」とか、
受講する側も「無料なんだから適当でいいや」という
気持ちがはたらくような気がしています。
有料か、無料かは、小さいようで大きな違いだとも思っています。
「無料で仕事を受けない」と決めた自分自身への覚悟も込めて・・・。
何を糧に学ぼうか・・・
子どもの頃から勉強は嫌いです。
「勉強がキライ」ってことを大人になってからも言ってるので、
親しい友人たちは聞き飽きているくらいです。
でも、ふと思うことがあります。
じゃあ、どうして何年もかけて、何百万円をかけて(←幾らか覚えてない程)
カウンセリングや心理学やコミュニケーションについて学んだんだろう?って。
単純に「面白い」と思ったから、というのも理由のひとつです。
新しいことを吸収して、何となく変わっていく自分を感じることもできました。
でも、もうひとつ。
「誰かの役に立ってる」っていう感覚がありました。
会社勤めをしていたときには、同僚や後輩の話を聴いたり、
転職してからは、働いている人や学生さんの話を聴かせてもらったり。
共通しているのは、相手が必ず笑顔で元気になってたってこと。
少なくとも、その点だけは役に立っていたように思います。
そうはいっても、「筋金入りの勉強嫌い」が、
ある日突然「勉強好き」に変身するわけではないので、
結局のところ、自分の興味やワクワクと、誰かの役に立ちそう・・・
っていう直感で、学びの行動を起こしている今があります。
じゃあ、就職活動だったらどうなんでしょう?
やらなくちゃならない!っていう気持ちはあるのかもしれませんが、
(まだ実感がわいてないって人もモチロンいるでしょうけど・・・)
イヤイヤやっても結果がついてこないんじゃないかと思います。
長続きしないっていうか・・・。
就職活動って思った以上に長期戦だと思います。
どうせやるなら「面白いやん」や「楽しいやん」っていう感覚を
就活生には大事にしてほしいと思う今日この頃です。
同じ枠のままでは・・・
ある日の友人との会話。
ワタシ>>
学生って、同級生たちとは話すけど、オトナとはあんまり話さないよね。
っていうか、慣れてない・・・。
友人>>
だって、そんな機会ないじゃん。
ワタシ>>
ま、そうかもしれないけど・・・。(←ココロの声)
友人>>
いまの子って、悟ってるんだよ。「サトリ世代」とかって言うし・・・。
ワタシ>>
悟ってるだって?(←ココロの声)
友人>>
妙に大人っぽいっていうか、動じないっていうか。結構冷めてるよ。
ワタシ>>
ふう~ん、そうなん?(←と言いつつ、ちょっと寂しい)
魅力的な大人が周りにいないってこと?
友人>>
そうそう、そうだよ。
ワタシ>>
はぁ~、こんなんでエエんかな(←ココロの声)
ちなみにこの友人は、中学生と高校生の母。
ある意味、リアルな学生の姿を毎日見ている訳で・・・。
でも、この会話をしていて思ったこと。
同じ枠のままでは、結局新しい視点は生まれないよねってこと。
知らない枠も取り入れてみるから、視界が拡がるんじゃないかって・・・。
学生だから、まだ必要ないってことじゃないし、
学生だから、そのうち・・・でいい訳でもない気がしました。
できれば、いろんな人と交流してほしいし、
今までの枠を飛び出してほしいと思う今日この頃。
すっかり悟ったようになってる学生さんは、
モノスゴクいろんなことがわかってるのかもしれないけど、
まだまだ知らないこともあるんじゃないかな・・・?
かくいうワタシは、この年になっても知らないことがいっぱい。
だから、いろんな人に会うのは面白い。
いろんなところに行くのは面白い。
いろんなことに挑戦するのは面白い。
こうしてブログを書いてみてるのも、ワタシにとっては挑戦のひとつなのです。
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